存在とは、あらゆる意味に於いて人と関わりをもつ物事の総称である。
存在は、実在と象に分けられる。
実在とは、知覚される存在である。
象とは、想起され表れる存在である。
象は、現象と表象に分けられる。
現象とは、知覚に応じ想起され現れる象である。
知覚により、実在の部分が現象として現れる。
表象とは、象に応じ想起され表れる象である。
表象は抽象され、記号となる。
記号とは、表象に共通して見出される部分であり、記号として想起され、想起を指示する。
記号は抽象され、概念となる。
概念とは、記号に必ず共通して見出される部分である。
故に必然とされ、常に同一の記号として想起される為、不変と見做される。
概念は想起され、想起を指示する。
異なる概念は対比され、関係が明示される。
関係は抽象され、法則となる。
法則とは、特定の条件に於いて必ず成立する関係である。
故に必然とされ、常に同一の記号として表れる為、不変と見做される。
法則は、関係の部分である。
法則は抽象され、原理となる。
原理とは、あらゆる条件に於いて必ず内在する関係である。
故に必然とされ、常に同一の概念として表れる為、不変と見做される。
原理は、法則の部分である。
故に、概念を表現し、原理に応じ関係を表すならば、必ず成立するであろう。
故に、原理に応ずる人の在り方は、全能と見做される。
但し、原理はおろか概念さえも実現し得ない。
原理は、限りなく捨象された関係であり、概念は、限りなく捨象された表象である。
然るに実在は、無限の関係性に於いて成立する。
故に、概念はおろか原理もまた、表現され実在として現れた瞬間から、その抽象性が崩壊する。
よって、全能が全能として成立するのは、概念が原理に応じ配置され持続する世界に限られる。
號の世界は、心象に応じ故郷に繋がり、実在の制約に随う。
歌の世界は、心象に応じ故郷に繋がり、実在の制約に随う。
話の世界は、理に応じ故郷に繋がり、実在の制約に随う。
法の世界は、礼に応じ故郷に繋がり、実在の制約に随う。
文化の世界は、義に応じ故郷に繋がり、実在の制約に随う。
文明の世界は、故郷を越えて、存在の原理に応じ、その制約に遵う。
即ち、全能が全能として成立するのは、文明の世界に限られる。
文明の世界に於いて、原理は概念として表される。
概念としての原理は、法則を制約する。
文明の世界に於いて、法則は記号として表される。
記号としての法則は、関係を制約する。
文明の世界に於いて、関係は表現として実現される。
関係に至り、実現可能となる。
即ち、文明の世界に於いて、原理は法則を制約し、法則は関係を制約し、制約された関係が表現として実現する。
故に、文明の世界に於いて、原理は想起を制約し、表現を統一し、文明の世界の実現という叶わぬ夢へと向けて、あらゆる人を導く。
さて、
原理は、捨象により見出される存在の部分である。
故に、捨象の在り方により原理は異なる。
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