『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』 Max Weber (著) 大塚久雄(訳) 岩波文庫 1989
第1章 問題
信仰と社会層分化
「カルヴィニズムは16世紀にはジュネーヴとスコットランドを支配し、16世紀末から17世紀にかけてはネーデルランドの大部分を、17世紀にはニューイングランドと、一時はイギリス本国も支配した。」
「経済的に発展した諸地方がとくに宗教上の革命を受け入れるべき素質を強く持っていたのは、どういう理由によるのだろうか。」
「カルヴィニズムの支配は、今日のわれわれには、およそ個人に対する教会の統制の形態のなかでもっとも耐えがたいものだろう。その当時も、ジュネーヴやオランダ、イギリスにおける古い都市貴族の広範な層にとっては、カルヴィニズムは同じように耐えがたいものと感じられた。」
「経済的発展の進んでいた国の人々、しかも、のちに見るように、その内部でもとくに当時経済生活において興隆しつつあった市民的中産階級がピュウリタニズムの、かつてその比をみないほどの専制的支配を受け入れたのは、いったいなぜだったのか。しかも、彼らが単にいやいやながらというのではなく、それを擁護するために、カーライルが”the last of our heroisms”(わが英雄主義の最後のもの)といったのが誤りでないように、市民階級そのものにとってほとんど空前絶後ともいうべき英雄的行動を示したのは、いったいなぜだったのか。」
「プロテスタント(なかでも後に論究する信団のあるもの)は支配的社会層であるときにも被支配的社会層であるときにも、また多数者の地位にあるときにも少数者の地位にあるときにも、特有な経済的合理主義への愛着を示してきたが、カトリック信徒のばあいは、前者の立場にあるときにも後者の立場にあるときにも、そうした経済的合理主義への愛着を見ることができなかったし、今日でも見ることができないのだ。そうだとすると、こうした生活態度の上に見られる相違の原因は、主として、それぞれの信仰の恒久的な内面的特質の中に求められるべきであって、その時々にそれらがおかれている外面的な歴史的政治的状況だけに求められるべきではない、ということになる。」
資本主義の「精神」
ルッターの天職観念――研究の課題
第2章 禁欲的プロテスタンティズムの天職倫理
世俗内的禁欲の宗教的諸基盤
禁欲と資本主義精神
私見
後日更新
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