現状に於いて戦争と直接関係のない我々が、「戦争はいけないものだ」と実際に感情が大きく揺さぶられる瞬間は、どの様な時なのでしょうか。
ここに、ある親子の一瞬の記録があります。
ご無事をお祈り致します。
爆弾が落ちたら笑おう
アブドゥラさん「ジェット機かな?爆弾かな?」
サルワちゃん「爆弾」
アブドゥラさん「爆弾?」
サルワちゃん「爆撃が起きたら私達は笑うんです。」
(爆音)
(サルワちゃんの歓声)
アブドゥラさん「笑える?」
サルワちゃん「うん、面白い。」
シリア人男性のアブドゥラさんは、難民としてシリア北部イドリブ県サルマダに逃れてきた。
娘の心が壊れてしまわないように、爆撃音がしたら笑うよう教えている。
この時シリア軍は、反政府勢力の最後の拠点であるイドリブ県に、攻勢を強めていた。
シリア北部イドリブ県サルマダ
イドリブ県
イドリブ県はシリア北西部にあり、北はトルコ、東はアレッポ県、南はハマー県、西はラタキア県に接する。
反政府勢力最後の拠点。
反政府勢力はトルコが、シリア政府はロシアが支援している。
私見
例え笑っていたとしても、込み上げる感情で目の前の現実を否定していることは、泣いている事と何の変わりもない。
この映像を観て、根本的な解決に想いを馳せる人物は、一体どれ程居るのであろうか。
恐らく膨大な数の人間がそう思わざるを得ないだろう。
そもそも社会とは、この様な問題を共同で解決する為に存在しているのであり、故にその構成員である我々は、意識の有無に関わらず、その解決へと向けて身構えている。
直接関わりのない人に大きく心を動かされる時、我々の意識は身近な共同体を超えている。
その時、そこには、現実に触れられる場とは異なる場が、確かな何かとして存在している。
そう、この場が、「認知革命」を可能としているのである。
この映像を視て根本的な解決に想いを馳せる時、我々は、「認知革命」の発生する瞬間を追体験しているのである。
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