話の世界とは、話により想起される自我である。
話とは、自我を任意に想起させる言語である。
言語とは、自明な人と共有される、想起を指示する声である。
話は、理と意に応じ言語により自我を表す。
自我は自明である。
故に、話は情を伴わぬ。
表象の表れは五感を閉ざす。
但し、情の不在は現象の再来を妨げぬ。
故に、表象は音と共に消え、現象が還る。
斯くて現象と表象は対比され、
斯くて理は明示される。
蓋し、理は自己と自我を結ぶ。
話は、理に応じ語られ、意に応じ言われる。
理は現象から離れない。
故に、理に応ずる話は、故郷を共有する人と相似する。
反し、
意は現象から離れる。
故に、意に応ずる話は、人により異なる。
故に、意に応ずる話は、自分を明示し、他人を明示する。
故に、意に応ずる人の在り方は、徳でもなく仁でもなく義でもない。
且つ、意に制限はない。
故に、故に、自分と他人の意の相違が露呈する。
これは糸の綻びに似ている。
故に、乱と呼ばれる。
乱は転じて争となる。
但し、
意の相違の露呈による綻びは、
故郷を共にするならば、
意を制し理に応ずることにより、結び直される。
これは、礼と呼ばれる。
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