歌の世界とは、歌により想起される心象である。
歌は、楽と言語に分けられる。
楽とは、情を指示する音である。
情とは、不明を示唆する表象の働きである。
情は、不明を示唆し、五感を閉ざし、心象の想起を促し、対応を図る。
楽は、その情を伴う声により五感を閉ざす。
言語とは、想起を指示する声である。
楽により閉ざされた現象に対し、言語は心象を想起させ、その不在を補う。
言語は、指示する象を象らず、声を象る。
故に、言語と象の関係は恣意である。
故に、言語は人により異なり、相手に対し不明な現象として現れる。
但し、
不明な言語は、
不明な言語を発する人により知らされる。
不明な言語を発する人が自明な人と成ることにより、理解される。
不明な言語と指示する象の関係を理解する事により、認識される。
斯くて自明な現象として認識され、想起を指示する自明な言語となる。
つまり言語とは、
自明な人と共有される、想起を指示する声である。
自明な人とは共存し、故に故郷を共有し、故に自己は相似する。
歌は、現象の不在を心象により補う。
但し、故郷は現前していない。
故に、歌の世界に応ずる人の在り方は徳ではない。
歌は、自己の相似する人を明示する。
歌は、自己の相似せぬ人を明示する。
故に、歌の世界に応ずる人の在り方は仁ではない。
但し、自己の相似する人を省みる情を知る。
これは、義と呼ばれる。
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