無理解の中、止め処なく、恩人達への感謝の気持ちが溢れ出す時

太平洋戦争末期、反撃の手段を失った大日本帝国は、帰ることの無い特攻隊を動員しました。

敗戦が確実な状況下で、意味の無い犠牲だったと語られることの多いこの悲劇ですが、譲歩を引き出す為の苦肉の策であり、狂気に駆られて強引に向かわせたというわけでも無く、守るべき家族を思い自ら志願された方も居られるということもまた事実としてありました。

この悲劇により命を救われた方は、何を思うのでしょうか。

お気持ち、伝わりました。

有り難う御座います。

武田先生の恩人

第二次大戦末期、武田先生の父親は、京大数学科卒の教師であり軍とは関係がなかった。しかし、妻と子供二人を連れて旅順の海軍に所属し、魚雷推進の計算を行っていた。計算が間に合わないということで助けを求められての事だった。なぜ応じたのかは、父親が話そうとしなかった為、聞いていない。

多くの人が特攻には意味がないと言うが、

彼らが特攻して守ってくれたから、今の自分はここにいる。

自分だけではなく、何万人もの人が、生きて逃げてこられた。

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